昭和43年5月28日 夜の御理解



 信心は家庭に不和がなきが元なり、御理解を頂いておりますと、もう本当に金光様の御信心はこれだなあと、もう、私の思い、また、聞き入れる者の、はあー本当にこれだな、これが本当にすべてのおかげの受物、ここが出来なければ、本当なおかげは受けられないと実感させてもらうんですね。
 今日は文男先生が来てから洋間でお昼にお話をしておる時に、もう親先生(笑い)、(  ?   )、親先生が御理解を途切れなさるとですね、もう、例えば、最近肝心なら肝心と、もうこれに極まったと、こう、先生が言うておられると、もうそん時みーんながもう肝心によりないというふうに思い込んでしまうです、私は合楽の人達の素晴らしさはそこにある、また、合楽の御理解はそこに値打ちがあると、ね、もう、本当にあのその時その時に説かれる事ですね、もう、お道の信心は本当の生き方と言うのはね、もう、馬鹿と阿呆になる以外にはないんだと、もう馬鹿と阿呆になる事こそが本当の真実の生き方だと。 
 説い、私が何日間か説いたら、もうそれに思い込んでしまう、いうなら、ほんなことそうだと、私も思うんです、実際は。それで、なら肝心な事が軽くなるというか、あの、なら私がこれは成り行きを大事にしよるでもそうです、ね、いうなら、合楽の人達はそれを思い込んでしまうということは私大変有り難いことだと思うんですがね、まあ、過去のことは嘘になったっていんじゃない、もうその時、その時、(  ?  )腹に頂いていく、その、御理解がいかに、なんちうかね、お互いおかげを頂いて行く為に、まあ大変なことになるかと言うことを感じます( ? )。
 最近、遅うなると、私これはまた、心、本当に、25日の幹部( ? )あの、馬鹿と阿呆と言う生き方が、いよいよ、真実の行き方であり、それを真実の本当の道が神様がおかげを下さろうとする道を開けてくるんだという、あらゆる角度からの説き方を頂いておると、本当にそうだとこう思うんですね。
 私今と今思いよる事は、もう何十年しても家庭に不和のなきが元だということですよ、もう絶対おかげが受けられません、家庭に不和がなか、不和があったら、ね、だからそこに本気でやはり焦点をおかなければいけないと言うことをね、まあ昨日も、今日も、今朝もそれをまた新たな角度から頂いた訳なんですね。
 そこで、私やはり、お互いがですね、家庭に不和のなき、例えば、あの、人には非常に内まいが悪い、もう私なんか家内といつも悪いですけど、そういう人が、ね、内では非常によいけれども、他人には悪いというのも( ? )である、ね、なら、ここへんが、私( ? )の御理解から頂くならば、ね、内前が良いなら外前も、外前が良いなら内前もようなかなければ信心じゃないと言う事ですね。ここんところの努力をね、しなければいけない。ね。
 これは、あの、家庭の者だから、心易いもんだから、事ですね、私はざあっとした考え方じゃいけない、もう家庭に不和のなきが元であるのが回るほどにですね、身近な者が不和であってはならないはずですから、家庭の者、身近な者が本当に尊敬しあえれる信心、本当に拝みあえれるおかげを頂くために、お互いがいよいよ改まっていかなければならない、ね。
 ですから、私が思うのに、例えば、子供から嫌うよう親になっちゃならんと、この思いはいかんです、もう親だから子だから縁はきれぬだから、けれどもですね、これでは本当の円満の道は生まれてこない、もう、子供から嫌われちゃならん、親が、また子供が、いうなら親から嫌われちゃもうおしまいだというぐらいにですね、精進しあわなければ嘘ですよ。もう夫婦だから子供はでけとるだからと言うてですね、私はあの、おろそかにしたら、もうそれこそ、百年の恋いも一気に覚めてしまうようなことが次々続いてはならんです、もうそれでおしまいです。ね。
 ですからね、あの、なんですか、ならテレビで歯みがきの宣伝をやっています、今の所、口臭を取る歯磨きだというですね、柔軟になら心易う付き合いよっても、例えばお花でする時に自分の口が臭いと相手に感じられたら、もうそれでおしまいだといったような宣伝をしておりますでしょう、結局自分自身の口臭は分からんのだ、酒を飲んどっても分からんごつ思うとるけれども、匂いがプンプンしよるけん分かるとじゃん。。
 私はタバコはのみよりましぇんというても、もうタバコのまんもんがそばに行ってタバコの匂いがプンプンするとですから、自分ないっちょん気がつかん、そこにごまかしえてるように思ってる。ね。そこんところをです、お互いが本当に知らなきゃいけない、ね、ですから、あの、はあー私はこんなに口の匂いが汚い、だから、例えそれが夫婦であろうが親子であろうがですね、、はあーこんなこっちゃ家内に嫌われる、主人に嫌われる、子供に嫌われる、親に嫌われると思うたらですね、そこを本気で、私は、私内前をようしていく事だと思うんですね、しかも、その内前がそのまま外前に繋がっていくと、行ってはじめて信心なんです。ね。
 ですから、私が(      ?       )、なるほど、あの昔の人達はよく言い給うんですよね、女と言うものは男に寝顔、身姿を見せてはならんというようなことを言われた、それぐらいなこれは家内だけではありませんよ、主人だって同じ事ですよ、もう、あなたがもうぐずぐずに言われた時の姿を見せた、もう厳密を感じるとよくいうんですよね。
 ですから、家内に嫌われたらもうおしまいだと、ですね。というようにですね、家内が主人を親が子を子が親をです、兄弟がです、ね、私はもう本当に嫌われちゃならん、為にはです、家庭の和を保つために頂いていくためにですよ、ね、これは勿論心の上のことなおさらのこと、嫌なものが出てくる心にあるものが、ね、もう、どんなに賢い、良い子だというてもです、もうあの子の底を見たら、もう親子でも嫌になる、とても、私の娘であるなら、こげんなん人を一人もろうてからですね、ね、本当にのしをつけてあげられるような気持ちになれんです、ね。
 これは息子の場合でも同じことです、よその誰かの娘さんをもらわにゃならん時にです、内の息子のこげんなんところがあったんじゃ来てもらう嫁さんに気の毒よと親が思う。これじゃ和が保てるはずがない、ですからね、家庭円満を頂かせて頂くために、一つ本気でお互いが改まり、結局自分のことは分からん、自分の口の匂いは分からん、ね、ですから、人が、あんた息が臭いですよと例えば注意を受けたらですね、腹かくだんじゃあっちゃならんです、本当にそれをですね、なくしようと努力しなければならん、そこから、私は本当の和とか敬とかというお茶の言葉で言う和敬の心といったものが敬うというか、和の心といったようなものが生まれて来るんだと。
 もう、親だから、子だからと言うてもですね、であるならばあるほどに、親が子が、子を子が親を信じ信じられる中にならなければ一つ根本的な家庭の和というものは望まれません。
 そういうところをですね、本気で一つお互いが取り組ませて頂かなにゃいけないと思うですね。自分じゃ分からん、分かっておるならば、そこんところを本気で私は精進しなければいけない、そこに取り組まなければいけない、ね、そして、家内に嫌われることがあっちゃならん、親に嫌われることあっちゃならん、いや、子供からでも嫌われちゃならんと思うなら、子供の願いに沿うていく親にやっぱりなっていかなければ家庭の和と言うものは望まれない、その家庭の和が、ね、一切のおかげの、願いになる、和になるおかげの元になるものであると分かった今日です、いよいよ、そこんところに精進していかなきゃいけないと思うんですね。
        どうぞ。




入力者 = 末永静行
2005年4月5日終了